PCクラブログ

2006年からの日記です。備忘録です。生活に必要な知識、それを実現しょうと試み続けているのが本ブログです。未熟者ですがよろしくお願いします。

体育祭当日

 10月17日 曇りのち晴れ

8時半、念のためリポDを1本飲んで自転車ででかけた。
昨年ほどの快晴ではないが雨の心配はない。
9時に始まった体育祭。
我町の応援席は真新しいテントの名前でわかる。
体育委員には知り合いは居なかった。

800mは11時過ぎだった。
スタート時間が近づくにつれ、喉が乾いて乾いて
応援席に用意されたポカリスを紙コップで何杯もおかわりしていた。
昨年、1昨年の成人上位陣の顔が見えず、我が町のA君(中2)が有力と思われた。
本人は昨年とは一回りも二回りも大きくガッチリしていた。
左足に包帯をしていていたのが気になったが
「優勝を狙います」とキッパリ言った。

スピーカーがスタート地点に集まるようアナウンスされた。
私は紺のジャージを脱いで自転車のカゴにいれた。
柿色のTシャツはリポビタンDの懸賞で当たったものだ。
この色にはとても気にいっている。
栗色のパンツとよく合う。
運動靴は30年ぐらい前、数回履いてそのまま保存していたミズノ。

ポツポツと選手が集まってきたが総勢12~3人と少なめだった。
そこへもう一人新顔の中学生があらわれた。
彼らの話に聞き耳を立てると、
この中学生は2’18”で走るという。
私は恐れおののきスタート後方に下がった。

細く長い足をしたいかにも速そうな大人がいる。38才だという。
そして女子中学生が5~6人。
いかにも体育系という感じに、私は「どうぞ!」更に後方へ遠慮した。

後ろグループは小6生および主婦らしき女性が2~3人と若い男性。
太ってはいるが若かりし頃、足自慢だったに違いない。
見回しても私のような年齢層は見当たらないので
私は、これらの選手についていけるか不安になっていた。

800は校庭を左回りに5周と3/4周する。
スタートした。
1周目は何とか最後尾ながら前の女子生徒についていけたが
すでに先頭グループは私の視線から消えていた。

2周目は最後尾の女生徒からも10m離された。
正面の来賓席の前に来たとき奇異の視線が目に入った。
(そんな席に座ってないで走りなさい!)と思いながらも走り抜けた。

3周目、応援席前を独走している私に
「赤いおじさん頑張って!」と
幼児の声援がかかった。
後ろからトップグループが次々と私を追い抜いていく。
恥ずかしいのと、頑張らねばという気持ちとが
頭の中で交差し、更に喉がカラカラになった。

再び正面まで来た時、もう体力も気力もなくなり
もう走るのをやめようと思った。
こんなに喉がカラカラになったのは記憶にない。
数日前の胃炎が効いているようだ。体調が回復してなかったのだ。
おまけに咳が止まらなかったのは風邪のせいかも知れない。

トラックでは、選手らが長い帯びになってグルグル走ってゆく。
「あれもういいの?」と怪訝そうな顔をして通り過ぎていく女子中学生。
もはや誰が何週目なのかさえわからない。
主婦、若い社会人らが懸命に走り抜けていくのを
私は眩しく見つめているだけだった。
最後尾の選手がゴールするまで、
私は地面に腰を下ろし、2'33"を表示しているストップウォッチを
只、見つめているだけだった。

1位は例の2:18'の中学生。
2位は例の中2生A君。
3位は例の細長足38男性。

観客席に帰ると、
「なんかやってるんですか?」と
体育委員らしき同年齢の人たちから声がかかった。
「ええ、今日から始めようと思って・・・」と
取り繕った返事をするしかなかった。

屈辱の800mから気分を切り替えた。
さしでがましくも体育委員を差し置いて
「綱引き」「ムカデ競争」では勝つコツを選手一人ひとりに伝授した。
他の町に比べ、我が町の応援がいかにもおとなしいのを見て
いてもたっても居られず、応援席に立ててあった旗を抜き出し
グラウンドで懸命に綱を引いてる選手らに合わせて振り、声援した。
勝った。

800は今日から来年に向けて再スタートだ。
来年度は3分を切りたい。
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夕方、散歩がてらもう一度校庭へ歩いて行った。
薄闇のグラウンドには、昼間のあの群衆と歓声の余韻が残っているような
空気が漂っていた。
改めてスタート地点から歩いてみた。
1周約105歩(両足)程度。
来年こそは、せめて完走しょうと言い聞かせながら
5周+3/4周すると、572歩(両足)だった。

このコースと距離を公園に再現して練習を始める。
私は新たな目標に気分が向陽していた。





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