PCクラブログ

2006年からの日記です。備忘録です。生活に必要な知識、それを実現しょうと試み続けているのが本ブログです。未熟者ですがよろしくお願いします。

古和浦(南伊勢町)祇園祭り No7

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http://www.youtube.com/watch?v=x5QZj1qvQo8

祇園囃子に乗って夕闇の中を御船が動き出した。

青暗い夜空を笹竹が覆い提灯が揺れる。

拍手と歓声が後を追う。

波麗路(ボレロ)の前まで漕ぎだした時、

「笛は元気ないどー!」

面舵(おもかじ)の方から誰かが大声で叫んだ。

応えるように笛の音が張り上がった。こうした下と上との掛け合いも古和の祇園ならではである。

ここは直角に折れ曲った道なので、笹竹が電柱や役場の建物にぶつかる。

「メリメリメリ」という音がした。

観客は遠巻きに眺める。

「どこにいるやらわからん」

後ろで、おばやんたちの声がした。

担いでいる孫か誰かを見に来たのだろう。

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http://www.youtube.com/watch?v=PeKvhUUHhks

担ぎ手は一本の丸太に左右合わせて6人。その丸太が5本。丸太を担ぐ位置がない人は

直に船体に肩を架ける人もいるし、交代要員も周りにいるので、総勢50人くらいか。

固まって動くし、暗いので「誰がどこにいるやらわからん」のである。

ところで、ひるがえって古和の祇園さんの御船を見ると

小さい時から、この祇園さんが大好きだったので、毎年見ているといろいろなことが頭に浮かぶ。

昔は、御船といえばとにかく荒々しかった。漁師と地方(じかた)が対立したこともあったし、もともとみんな青年団だったので血気盛んだった。今より2mは大きい船体で、笛奏者だけでも8人くらいは乗り込んだ。

その船が古和の狭い道をくまなく回るわけだから、あっちこっちでぶつかり、転覆もした。

傾いた船内で、小太鼓、大太鼓打ちは身体を紐で縛りつけ祇園囃子を叩き続けて船体を引き起こさなければならなかった。その下では怒号が激しく交錯していた。

安全のため、溝という溝にはふたをし、電柱には全部むしろがかぶせられてはいたが、ケガ人が絶えなかった。

翌朝、安置してある御船を見ると、竹は折れ、提灯が破れ、満身創痍の姿をしていた。そして2日目の夜を迎えるのである。

軒先に突っ込むようなことがあると、普段の感情的な対立を浮かび上がらせることになった。それが町民同士、越え難い亀裂を胸に刻みつけた。これも古和の祇園さんの御船の一面と思った。

年寄りは「昔はもっと荒くたかった」と懐かしむが、今は、そんな世情ではない。

しかし今でも危ないことは危ない。担ぎ手の年齢も上がっているし、「ケガしてもつまらんからな」とも。

かって私も溝に落ちて膝から足首まで擦りむいて血だらけになったこともある。

水道水で洗ったら、滲みた。

丸太の先に手をやって御船を押し返そうとしてブロックベイと挟まれそうになったこともある。

「指はさまれるどー!」の声に一瞬引っ込めて事なきを得たが、思い出すとゾッとする。。。

ともかく、直角の登り中町の道路を無事に通過すると、御船は下地町祇園囃子を奏でながら浜に向かっていた。

家々では住民が表に出て出迎える。腕を組んで、それを見る老漁師。歓声を上げて拍手する里帰りの若い人やこども。

古和浦漁業組合の前まで来たとき、船頭は御船をバックで広い場所に誘導した。

何百人もの観衆で埋め尽くされていた中を御船は割って入っていく。

時を同じくして、花火が上がった。

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http://www.youtube.com/watch?v=uj8FlbC2I5Uここで最後の「練り」をする。

頭の上から水がバサッと降ってきた。

誰かがバケツごと水をぶちまけたようだ。

祇園囃子と共に笑い声とも唸り声とも思えるような声が沸き起こり、船体は前後左右大きく揺れ出した。

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