PCクラブログ

2006年からの日記です。備忘録です。生活に必要な知識、それを実現しょうと試み続けているのが本ブログです。未熟者ですがよろしくお願いします。

戦後6年に建てた

 

日本中が焼け野原で、勿論、山も燃料の為に木という木も伐採されたろうに
そんな当時に建てられた建築物が解体される。
その建物を写真に残しておこうと山の上に登った。


地震の避難対策に設置された鉄の階段を何十段と登ったろうか。
古和湾が見渡せる。


右下にはHたんとTちゃんが立ち話してるのが見える。
「俺が中3の時建てたんやでね。角丸さんてゆう大工さんで。
柱の角が丸く削ってあった。当時、そんなカンナなんてないわさ。


それだけ、角丸さんとういう大工さんの腕があったということだろう。
「おれが4年生の時、津波がきてな。津波やどー、っておめいてにげたじょー」
戦争末期49年の時の地震津波の話しになった。

 

「おれはその時御木本の浜におったな」
古和の年寄りは、昔のことを ほんとによく覚えている。
記憶力がいいのだ。たぶん青魚や刺身を多く食べているからに違いない。
その津波が予想される高さが鳥羽で25m以上 といわれているのだからこの高さでも安心できないということだ。


そうそう、津波の話ではなかった。古和で由緒ある建物が解体されるという話だった。
 浦和1.jpg

 

 

「赤いトタン屋根は、元々赤瓦やったんさぁ」
それが57年頃の伊勢湾台風で飛ばされてしまって
中部地方に大災害をもたらし、修理するにもその赤瓦が手に入らなかったようだ。
「仕方なくトタンにしたんやんな」
そのトタン屋根を、職人が丁寧に錆び止めし何度も塗り替える仕事をしたようで
その金に糸目をつけない職人技に、自ら、家を建てられる程建物に詳しい床屋のTさんが
屋根を見上げながら呟いた。
それでも60年以上経つと、流石に潮風の町のこと、雨漏りが激しくなったようだ。

更に鉄の階段を登る。
ウグイス色のペンキで厚塗りした、いかにも頑丈そうな作りなのだが
それでもところどころ錆びているし、普段は誰も登らないので足もとに注意する。
漁師町特有の密集した住宅ごしに見える古和湾は、生活に密着した風景である。

山の下、海岸べりには釣り堀の筏。
船が出入りする堤防と堤防の間は「鳩の口 」。
船が入ってくるたび、大きな白波が立って、停泊している船々が大きく揺れた。
昔の船は、「ポンポンポン」と煙突から音がでて、出入りがよくわかったものだ。
今の船は、2倍も3倍も大型になってあっという間に走り去り消えてゆく。

真珠景気とハマチ景気で大きな家が立ち、鉄筋の家も多い中で
戦前に建てられ、すでに80年近く過ぎている利七屋は周りの家に小さく埋もれている。
伊勢市ではよく見かける、表から見ると三角作りの屋根の作りだが
古和ではもう珍しくなっていた。

「ホーケキョケキョ」 聞き覚えのあるウグイスが鳴く。
昔からこの辺りを縄張りにしているウグイスだ。

 「赤いトタン屋根は、元々赤瓦やったんさぁ」
それが57年頃の伊勢湾台風で飛ばされてしまって
中部地方に大災害をもたらし、修理するにもその赤瓦が手に入らなかったようだ。
「仕方なくトタンにしたんやんな」
そのトタン屋根を、職人が丁寧に錆び止めし何度も塗り替える仕事をしたようで
その金に糸目をつけない職人技に、自ら、家を建てられる程建物に詳しい床屋のTさんが
屋根を見上げながら呟いた。
それでも60年以上経つと、流石に潮風の町のこと、雨漏りが激しくなったようだ。

更に鉄の階段を登る。
ウグイス色のペンキで厚塗りした、いかにも頑丈そうな作りなのだが
それでもところどころ錆びているし、普段は誰も登らないので足もとに注意する。
漁師町特有の密集した住宅ごしに見える古和湾は、生活に密着した風景である。

山の下、海岸べりには釣り堀の筏。
船が出入りする堤防と堤防の間は「鳩の口 」。
船が入ってくるたび、大きな白波が立って、停泊している船々が大きく揺れた。
昔の船は、「ポンポンポン」と煙突から音がでて、出入りがよくわかったものだ。
今の船は、2倍も3倍も大型になってあっという間に走り去り消えてゆく。

真珠景気とハマチ景気で大きな家が立ち、鉄筋の家も多い中で
戦前に建てられ、すでに80年近く過ぎている利七屋は周りの家に小さく埋もれている。
伊勢市ではよく見かける、表から見ると三角作りの屋根の作りだが
古和ではもう珍しくなっていた。

「ホーケキョケキョ」 聞き覚えのあるウグイスが鳴く。
昔からこの辺りを縄張りにしているウグイスだ。

浦和2.jpg

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