PCクラブログ

2006年からの日記です。備忘録です。生活に必要な知識、それを実現しょうと試み続けているのが本ブログです。未熟者ですがよろしくお願いします。

巨樹ウバメガシを横目に座差の高を目指す

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桑川に沿って登ってゆくと、橋が架かっていた。
川幅は10mくらいだろうか。人一人通れるほどの小さい橋だ。
「昨日まで大水がでていたのに今日は嘘のように引いてる!」

この辺の山は大雨が降るので大水がでるが引くのも速い。

 

 

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橋を渡り終え、さあこれから「座佐の高」を目指して歩くことになる、と目前に
巨大な幹が姿を現した。何本もの幹が一体となって周りを圧倒し天にも昇る勢いで伸びている。
これだけ大きなウバメガシは初めてだ。左にいる人と比べると改めてその大きさに驚く。


橋を渡り終え、さあこれから「座佐の高」を目指して歩くことになる、と目前に
巨大な幹が姿を現した。何本もの幹が一体となって周りを圧倒し天にも昇る勢いで伸びている。
これだけ大きなウバメガシは初めてだ。左にいる人と比べると改めてその大きさに驚く。

 

 

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「うばめかし」

漢字では「姥目樫」。
老人の目のような樫というのだが、「老人の目」とは何を形容したものだろうか。
しわしわの幹の皮だからか、小さい堅い葉が老人の目のようだからだろうか。
直立じゃなく曲がった腰のように斜めに延びているからだろうか。

姥目樫は5月頃、黄色と茶色を混ぜたような小さい花を咲かせる。
ドングリのような実は食べられる。
その実が美味いので、案外「うまめ樫」がなまって「うばめ樫」となったとも限らない。
この辺では炭焼きと言えばこのウバメガシで、その火力の強さは
今さら言うまでもないが、その炭火でこの実を炒って食べたとも限らない。
私は残念ながら食べたことがない。
いちど、地元の物知りに聞いてみようと思う。

それぞれ、山登りの人たちは、どういう思いで
この四方八方に延びた巨木を眺めたのだろうか。


「うばめかし」

漢字では「姥目樫」。
老人の目のような樫というのだが、「老人の目」とは何を形容したものだろうか。
しわしわの幹の皮だからか、小さい堅い葉が老人の目のようだからだろうか。
直立じゃなく曲がった腰のように斜めに延びているからだろうか。

姥目樫は5月頃、黄色と茶色を混ぜたような小さい花を咲かせる。
ドングリのような実は食べられる。
その実が美味いので、案外「うまめ樫」がなまって「うばめ樫」となったとも限らない。
この辺では炭焼きと言えばこのウバメガシで、その火力の強さは
今さら言うまでもないが、その炭火でこの実を炒って食べたとも限らない。
私は残念ながら食べたことがない。
いちど、地元の物知りに聞いてみようと思う。

それぞれ、山登りの人たちは、どういう思いで
この四方八方に延びた巨木を眺めたのだろうか。

 

 

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地元の、山道とはいえ生活道路を一歩一歩踏みしめてかれこれ1時間と10分。
尾根伝いの山道の木々の隙間から国道260号線と新桑の人家の屋並みが見える。


地元の、山道とはいえ生活道路を一歩一歩踏みしめてかれこれ1時間と10分。
尾根伝いの山道の木々の隙間から国道260号線と新桑の人家の屋並みが見える。

 

 

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山登りスタートから1時間と15分、更に視界が開ける地点まで来た。
左には棚橋川河口、右手の奥には、古和の漁師がかって台風の時に風避け港として
利用したこともある棚橋港がある。港といっても今では遊漁船が2・3隻利用しているだけの
それも板を敷き詰めただけの桟橋なのだが、この湾は風が当たらない所なのだ。

かって、平家の落武者が塩田をしていた場所である。
この湾ではアサリがそれこそ湧いて出たものだが、今では見る影もない。
なんでだろう、なんでだろう、というフレーズの歌が流行ったことがあったが
なんでだろう?


山登りスタートから1時間と15分、更に視界が開ける地点まで来た。
左には棚橋川河口、右手の奥には、古和の漁師がかって台風の時に風避け港として
利用したこともある棚橋港がある。港といっても今では遊漁船が2・3隻利用しているだけの
それも板を敷き詰めただけの桟橋なのだが、この湾は風が当たらない所なのだ。

かって、平家の落武者が塩田をしていた場所である。
この湾ではアサリがそれこそ湧いて出たものだが、今では見る影もない。
なんでだろう、なんでだろう、というフレーズの歌が流行ったことがあったが
なんでだろう?

 

 

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時計をみたら、100円腕時計が10時16分を表示していた。
見晴らしの良いこの場所に続々人が集まりだした。
棚橋桟橋の数m上には国道260号線が走っているが
かってはこの棚橋桟橋の道路が国道だった。
大型バスがやっと一台通れるか通れないかの狭い国道で
クネクネしたリアス式海岸をトコトコ走っていたものだ。
急カーブがあり、落石があり、大雨の後はがけ崩れがあったりで
それはもう、このバスに乗ろうものならスリル満点だったものだ。

50年程前「道」という映画があった。
尾鷲の国道を整備する工夫の物語なのだが、子ども心にその映画をみたような記憶がある。
この260号線と同じような国道だった。
いまでは、このようにトンネルができアスファルトがしかれ快適に走行できるわけだが
何か味気ない。
今でも、柏崎から棚橋、棚橋から古和にかけての旧道を年1回は車で走りたくなる。
棚橋の峠を越え、樹木の間から古和の港と家並みが見えると
一瞬、胸がドキドキしたものだった。
それは、「ああ野麦峠」で大竹しのぶが峠から故郷を見たときの感慨と多分同じだろう。


時計をみたら、100円腕時計が10時16分を表示していた。
見晴らしの良いこの場所に続々人が集まりだした。
棚橋桟橋の数m上には国道260号線が走っているが
かってはこの棚橋桟橋の道路が国道だった。
大型バスがやっと一台通れるか通れないかの狭い国道で
クネクネしたリアス式海岸をトコトコ走っていたものだ。
急カーブがあり、落石があり、大雨の後はがけ崩れがあったりで
それはもう、このバスに乗ろうものならスリル満点だったものだ。

50年程前「道」という映画があった。
尾鷲の国道を整備する工夫の物語なのだが、子ども心にその映画をみたような記憶がある。
この260号線と同じような国道だった。
いまでは、このようにトンネルができアスファルトがしかれ快適に走行できるわけだが
何か味気ない。
今でも、柏崎から棚橋、棚橋から古和にかけての旧道を年1回は車で走りたくなる。
棚橋の峠を越え、樹木の間から古和の港と家並みが見えると
一瞬、胸がドキドキしたものだった。
それは、「ああ野麦峠」で大竹しのぶが峠から故郷を見たときの感慨と多分同じだろう。

 

 

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10時20分、更に開け場所にでた。
山々の中で中央の三角形のひときわ高い山がタシカラの高山だという。
南勢テクテク会では先月登ったようだ。


10時20分、更に開け場所にでた。
山々の中で中央の三角形のひときわ高い山がタシカラの高山だという。
南勢テクテク会では先月登ったようだ。

 

 

 

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時計は11時前(正確には10:50)だった。
折からの温かさで汗ばむようになってきた。
それでも一行は話声が途切れることなく続いていた。

「座佐の高まで、あと500mですよ!」
誰かの叫ぶような声がウバメガシの林に響いた。
いよいよ頂上に着く。
ここまで来るとさすがに足腰が痛くなる。
普段ランニングで鍛えている私でさえそうだから
70才以上の方や女性の中には相当疲れている人も大いに違いない。
それでも誰もリタイヤする様子がない。
頂上の声をきいて足取りが軽くなったのかもしれない。


時計は11時前(正確には10:50)だった。
折からの温かさで汗ばむようになってきた。
それでも一行は話声が途切れることなく続いていた。

「座佐の高まで、あと500mですよ!」
誰かの叫ぶような声がウバメガシの林に響いた。
いよいよ頂上に着く。
ここまで来るとさすがに足腰が痛くなる。
普段ランニングで鍛えている私でさえそうだから
70才以上の方や女性の中には相当疲れている人も大いに違いない。
それでも誰もリタイヤする様子がない。
頂上の声をきいて足取りが軽くなったのかもしれない。

 

 

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尾根伝いにここまで登ってくると所々で視界が開けてくる。
樹木の間から見えだしたのは「古和浦湾の入り口」である。
国道260号線の旧道を通れば
古和浦湾が一望できる見晴らし台もあるが
ここから見る景色はそこから見える片側の座佐の高から見ているわけである。
向こう側は「天神山」のある対岸である。








尾根伝いにここまで登ってくると所々で視界が開けてくる。
樹木の間から見えだしたのは「古和浦湾の入り口」である。
国道260号線の旧道を通れば
古和浦湾が一望できる見晴らし台もあるが
ここから見る景色はそこから見える片側の座佐の高から見ているわけである。
向こう側は「天神山」のある対岸である。

 

 

 

 

 

 

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