90になったら
正月の四日、私は義父と病院の部屋で会った。義父が足を骨折したのであった。
義父は、左足を曲げたまま、掛け布団を持ち上げて天井を見上げていた。
私は耳元に近づいて、骨折した状況について尋ねた。
義父は両手を半開きしながら言った。
「コンクリートと土の境目に飛び降りた」
義父の声が普段と変わらないので、私は少し安心した。
と同時に、昨日、義妹が
「この間言ってた高さは60センチやったのに今日は45センチ」とあきれたように呟いていたのを思い出し、なぜ左足なのかを知りたくなった。
「飛び降りたとき左足がコンクリート、右足が土の上だったんやない?」
義父は下目使いに私へ視線を向けて
「そうや」
---------この時私が目をやっていた包帯でくるまれた足首が、ふと埋もれていた
古い記憶を呼び出してきた。
昔、30年程前だろうか、私は自動車解体屋さんで何かの部品を探そうとして
山積みされた自動車のボンネットから飛び降りた時、バランスを崩して着地した。
左右どちらかは忘れたが、片足の裏が痛かった。片足にもろに体重が掛った為だ。
その痛みは翌日になっても消えず、かといって我慢できないほどでもなく
気にはしていたが痛みが引かなかったら病院に行こうと考えていた。
「骨がずれたまま固まってしまったら?」と心配もしたが
そのうちいつの間にか忘れてしまっていた。
今となっては、ひびが入っただけで自然に治ってしまったのかも知れないと勝手に想像している。
今は足は何ともないが、目が悪くなって治療中の身である。自由に歩けるようにはなったが、まだ走れないのが辛い。
昨日、妻の実家で古いアルバムを見ていたら、運動会で走っている義父の写真を見つけた。
名刺大の大きさのセピア色に変色しかけているモノクロ写真には2メートル先の青年を追いかけている姿があった。私は、その後の様子を知りたくなって尋ねてみた。
「あのリレー、幾つぐらいの時?」
義父はしばらく考えていたが、思い出せない様子だった。
義父の手術は2時半から2時間の予定だそうだ。
待ち時間に病院の階段を上り下りしてみた。203段。7階の物干し台兼展望台から山を見た。
手術は2時間経っても3時間経っても連絡がこない。
やっと看護婦さんが「終わりました」と伝えて来たのは6時半だった。
「足首の骨が粉々になっていて、それで時間がかかりました」
50代と思しきお医者さんは、レントゲン写真を翳しながら早口で私たちに説明するので、耳をそばだてて聞いていた。
先生の疲労も相当なものなのだろう。正座できないかも知れないが、ともかく完治するようなので安心した。
「ありがとうございました」
義父は全身麻酔から徐々に覚めてきたのか弱弱しい目で天井を見ていた。
私は腰をかがめ義父の耳元で声を掛ける。
「お父さん、90になったら老後を楽しもうな!」
傍で義妹らが明るく笑った。