PCクラブログ

2006年からの日記です。備忘録です。生活に必要な知識、それを実現しょうと試み続けているのが本ブログです。未熟者ですがよろしくお願いします。

体育祭に出て子どもたちと走ると?

10月16日 Sun Fine

 

「いい日になりましたな」

「暑いぐらいで・・・」

 絶好の運動会日和。

 

800mは11時。それまで間があるので体育館で開かれているバザーに行く。

「こんにちは。このごろ会議にでてみえないんですね?」

後ろから声をかけてきたのは文化委員会で一緒になった永井さんだ。

 

オレンジ入り蜂蜜、八女茶、新茶、紅茶、粉末ポカリなどを買った。占めて2000円也。

 

自転車の前籠に買い物袋をのせて運動場を歩いてゆく。

2016体育祭

中岡さんが夫婦でいた。畑さんもいる。

知らない40代の男性が私を見て「こんにちは」といいながら通り過ぎた。

続けて別の男性が笑顔で「こんにちは」と会釈しながらすれ違ってゆく。

いずれも名前を知らないひとだ。たぶん体育委員さんだろうと思う。

 

自転車の荷台にデジカメの録画をセットして入場門に向う。

 

ゼッケン13番を手渡された。

周りはいつものとおり中学生が主体である。

そこへ白い帽子を被った50代の小柄な女性が来た。

木富さんだ。

「でてもらえないかと頼まれて・・・」

40代と思われる男性は私の顔を窺いながらゼッケンをつけている。

(たぶん安心したのだろう)

 

5周と3分の1.参加者は20名ほど。

すこしでもと考え先頭に並んだ。

隣は背の高い中学生男子。

 

「ドン!」

スタート直後から飛ばしてゆく中学生。

(100mは17秒)(私は28秒。これでも速すぎるペース)

 

1週目は何とかしんがりについたが220mくらいで1周追い抜かれた。

2週目まではなんとかいつものペースでいったが、3週目からは胸が熱くなってきた。

3年前に経験したあの熱さと足が動かなくなる感触が来た。

 

極端にスピードが落ちてきた。つぎつぎに後ろから追い越して行く子どもたち。そして木富さん、40代男性。

そのうちトップがゴールインしたのか「ドン!」ピストルが鳴った。(1位2分52秒。昨年よりも5秒くらい速い)

 

ゴール前では係員が何人もいて両手で数字の入った紙を掲げる。あと何周か知らせるためだ。

前方を走る小さい子ども(小学生)が最後尾。私はまだ1周残っているがそのままで終えた。

係員が気を利かせてくれたのか「ドン!」とピストルを鳴らせてくれた。

 

かくして2,016年の800mは終わった。

3年前は3週目で棄権した。(100mは31秒台で通過した。それでもいつもよりも速いペースで息が上がってしまったからだ。

それに比べれば4周と3分の1まで走れたのは進歩である)

 

退場門で体元気の飲料をもらった。

6位内に入賞できなかった男子2人(多分団地の子)が

私の顔を見て頭を下げて軽く会釈した。

 

観客席まで戻ると中岡さんが近づいて気の毒そうに思ったのか、よくやったと思ってくれたのか、無言で微笑んだ。

 

私は、他人に勝ったり負けたりは、こだわらない。気にならない。それよりは自分の設定した基準をクリアできるかできないかーーーそちらの方により関心が向く。そういう意味で800m走は、私のメンタリティーにぴったりはまる。

 

 

体験してわかったこと。

 

①サーキットトレーニン

100mは25秒以内、200mは50秒でゆくこと。(これでも何とか最後尾で形はつく)

200~400は26秒台。52秒  102(1分42秒)

400~600は27秒台、54秒  156(2分36秒)

600~800は28秒台。56秒  212(3分32秒)

 

②大会1週間前から草刈り作業はホドホドに。

体力消耗しない。

 

③前日と当日はリポDを半分ずつ飲む。

 

④当日はカステラ(炭水化物)を3切れ食べる。

 

⑤当日は、9時最初の「モーニングレース」に出場し体を慣らしておく。

 

 

10/23 Mon Fine

 

200を全力で走る。1周歩きさらに全力走。それを4回。
4回(800)をこのスピードで走っても、今年の体育祭では6位入賞はできない。
1位は2'55、6位は3'05くらいだった。
45×4=180”(3'00”) なら何とか入賞可能だ。
45なら4回走れるかも知れないぞ。

 

3:40~5:00
日が短くなった。
①5:30 レク広
②4:45 レク広
③48-48-47-49 G T3'12"
④5'06 歩道

 

村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕が語ること」から、1節を借用して書いてみる。

 

そんなわけで「次の800m」である地区体育祭に向けたトレーニングを続けながら、一方でパソコンに向かってこのような文章をかきつづっている。

50数年前、自分が初心者ランらーであった当時のことをひとつひとつ思い返し、記憶をたどり、そのころつけていた簡単な日報を読み返している。自分の辿ってきた足取りを確認するためでもあり、その時代の自分の心持を掘り起こすためでもある。

自分を戒めるためでもあり、励ますためでもある。そしてどこかの時点で眠り込んでしまっていたある種の動機を、ゆる動かすためでもある。言うなれば思考の道筋をつけるために文章を書いている。

しかし結果的にはーーーあくまで結果的にはということだがーーーこれは、走るという行為を軸にした「メモアール(個人史)」みたいなものになっているのかも知れない。

 

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